Top

<   2011年 07月 ( 15 )   > この月の画像一覧

ヒョウモントカゲモドキ。

昨晩はせいちゃんの撮影会。君ともあと4日。
f0169361_9151171.jpg
f0169361_9145041.jpg


さて、出発の準備。
パソコンも送ってしまうので、また更新は暫く止まります。
南三陸町についてから、今までのようにネットが出来る環境ではないので、
更新も出来るかどうか不確定ですが、気が向いた時にでも覗きにきて下さい。
それでは、ひとまず、さようなら。
[PR]
by yuujir0u | 2011-07-30 09:17 | dairy

フトアゴヒゲトカゲ。

f0169361_1613345.jpg

君との生活もあと4日だね。
[PR]
by yuujir0u | 2011-07-29 16:14 | dairy

よみがえれ故郷 ふんばろう南三陸町

鹿児島を8月3日に出発し、一度広島の実家に顔を出し、第二の故郷の大阪に向い、
東京であいのての新井さんと合流し、
宮城県南三陸町入りは多分8月10日頃。

そこでお世話になる「さかなのみうら」の三浦社長と仙台から支援に来ている嶋津さんが主体となる
「よみがえれ故郷 ふんばろう南三陸町」
のホームページを作成しました。
まだまだ、準備中のページもありますが、これからどんどん進化させていくので
応援宜しくお願いします。
[PR]
by yuujir0u | 2011-07-25 21:03 | 震災

今日。

f0169361_23501643.jpg

帰宅途中、思いがけず出会った空を写真に収めたくて、ダッシュで帰り、屋上に駆け上ったのだけど
見る見るうちにピンクだった空は消えていき、撮った写真は気持ちも何にもない記録になってしまった。

そうこうしてるうちに、暗くなってしまったのだけど、暫く屋上から辺りを見回す。
残り、2週間。
[PR]
by yuujir0u | 2011-07-20 23:52 | dairy

明日の神話

f0169361_0345337.jpg


過去に3度、東京に行った。
一度目は3年近く前。二度目は今年の4月に岡本太郎100祭を見に。
まさか、こんなに時期短くして東京に行くことがあるとは思わなかった。

最近、twitterの岡本太郎botが良く更新される。大体は著書の中からなので読んだ文面なのだが
言葉を得るタイミングによって、本で読んでいた以上にダイレクトに心に迫ってくるときもある。

f0169361_044097.jpg
f0169361_0435326.jpg
f0169361_0434651.jpg
f0169361_0433765.jpg
f0169361_0433010.jpg

[PR]
by yuujir0u | 2011-07-07 00:45 | dairy

怒濤の10日間 写真2。

さかなのみうらさんのお店です。
f0169361_20202012.jpg

中にあった瓦礫などは、ボランティアさんが片付けて下さったそうです。
3階まで登れると言う事で、中にお邪魔しました。
1階です。
f0169361_20213541.jpg

2階に向う階段。
f0169361_20245361.jpg

f0169361_2026343.jpg

2階です。
f0169361_20265514.jpg

ボランティアさんが、近くで見つけたのでしょうか?
前来た時にはなかったアルバムが押し入れに入れてありました。
f0169361_2027431.jpg

アルバムを見ながら一言。「これウチのじゃねぇなぁ。笑」
でも、もう一冊一緒に置いてあった学校の卒業アルバムは息子さんの物だったらしく、
嬉しそうに持って帰られてました。

3階からの風景。
左端真ん中に写っているのは瓦礫の山。写真じゃどれほどの大きさか伝わり難いなぁ。
f0169361_2030650.jpg

自分の街がこうなったら・・・と想像してみてほしい。
f0169361_20313577.jpg



f0169361_20323110.jpg

[PR]
by yuujir0u | 2011-07-05 20:32 | 震災

怒濤の10日間 写真。

もともと、趣味でカメラを使っていて、一応、フィルムカメラを持って行ったのだけど
現地に着くと、何故か壊れてシャッターが切れず、予備として持って行ったGRで撮影。

良いカメラでも、腕が悪いと伝えたい事の半分も伝わらないですな。
そもそも、写真で見た所で、感じれる部分はほんの足しにしかならないのだけど。
写真を撮ると言う行為を、自問自答しながら、それでも、
少しでも伝えなきゃならないと思いシャッターを切りました。

25日の朝、私と社長しか居ない状態だったので、
社長が自ら、志津川の自宅や市場辺り、ご自身の避難した道など案内して下さいました。

津波前は賑わっていた市場。既に鉄骨などが片付けられ、悲惨さは感じられなくなったそうです。
f0169361_917488.jpg

よく見て頂くと判るように、3階の家の中までぐちゃぐちゃです。
f0169361_9185258.jpg

アスファルトがめくれ上がり、陥没。埋め立てた所が海になっています。
f0169361_920169.jpg

f0169361_9204957.jpg

これでもまだ現状とどめて居る方じゃないかな。中には圧縮されて鉄の塊になっているのも転がっていたし。
f0169361_9222312.jpg

[PR]
by yuujir0u | 2011-07-05 09:24 | 震災

怒濤の10日間(6月17日〜27日)その7

23日の夜には、あいのてさんが引き上げ、人数的にかなり寂しくなりました。
24日は、横山不動尊さんで裁縫教室のワークショップがあり、
愛ちゃんの手伝いをさせて頂く約束があったので、嶋津さんに送って頂く。
この、ワークショップもとっても楽しかったのだが、デジカメを寝床に忘れてしまい!
皆さんの笑顔を写す事が出来なかった。。。

朝から、雲行きが怪しく、ワークショップの準備中、ポツリポツリと雨が降り始めた。
これは、来る人数少ないかもね〜、まぁゆっくりお茶っ子飲み会しましょう。なんて話をしながら
10時前になっても2、3人しか来ていなかったので、ちょっと向えに行こうかと
お寺の門を出て曲がった目の前に、ゾロゾロと10名程歩いて来られる方々が。
まさかと思い、助手席から声を掛けてみると、「今から行く所よー」なんて返事が!
以前に仮設にまわった時に話をしたおばちゃんも居り、「来たよー」なんて言って貰えると
ほんと、心の底から笑顔が出てしまう。

世間話も、みうらの社長の事やら、地域の事、地震の事など、色々混ざりつつ、
みんな楽しそうで笑顔で、本当に行って良かった。
私の滞在日数は残り3日という辺りで、もう会えないだろうと皆感じながら
丁寧に見送って頂いた映像は脳裏に焼き付いている。
一緒に作ったなべぼうしの写真、今度行った時に撮らせてもらえると良いな。

午後1時過ぎ頃、愛ちゃんの手伝いをしていた、京都の大工さん(初日振りに再会!)に
さかなのみうらまで送って頂き、午後から夕方の物資配りの準備。
この日は、志津川中学校の仮設だったかな?
到着すると、社長の友人のおばちゃんが、「皆に声掛けてくるねー」と部屋に居る人を呼びに行ってくれて!
(そういう方が居るってだけでも、感動したのだが)
いつもより少ないメンバー、社長・長さん(被災された漁師さん)・千葉からの恩田さん・長田さん・私という
総勢5名で、軽トラとバンに積んだ荷物をエッサホイサと運ぶのだけど、
集まってきた仮設の方々が、並べるのも、片付けるのも率先して手伝って下さり!
とてもスムーズに事が運び、仮設の方々とお話しする余裕もありました。

それから、恩田さん、長田さんが夜、千葉に帰られると言う事で、
志津川高校で晩ご飯を頂き、社長のお兄さんの家へ帰り、皆で軽く晩酌。
夕方にはアパートに帰る長さんも、珍しく参加され、長田さんはコーラ、みんなはビールで乾杯し
どれ位話をしたか、10時か11時頃、お二人は帰宅され、
それから社長と長さんと私という濃いメンツで1時間位お話しし、3人で仲良く並んでテントで就寝。
これもなかなか、味わう事の出来ない体験だったなぁ。

向こうでご縁があった方々が、本当に魅力的な方ばかりで、毎日が充実した日々でした。
[PR]
by yuujir0u | 2011-07-05 00:26 | 震災

怒濤の10日間 思いつくままダラダラと。

確か、23日辺りに、大量の銀じゃけが届く。
数日前までは社長一人でさばいてたのだが、手も空いたし、
血合いかき出す位は出来るなぁと思ったのが、今思えば全ての始まりかもしれない。
気がつけば、物資仕分けよりも魚屋さんの仕事の方が増えていたという。笑
朝から晩まで社長と共に、鮭の返り血を浴びて、
皆が物資を配りに行っている中、内臓を捨てる為に庭にスコップで穴を掘って
以前の職場や、行きつけの飲み屋に「鮭要らないっすか!?」と電話を掛け続け。社長に
「ゆうこりん、アルバイト第一号だな!」
と認めて頂き!!(これは10日のうちで一番嬉しかった!)
更に言えば、社長の奥さんにも、引っ越してくるなら住む場所提供するなんてお言葉を頂き!

この日がなかったら、皆に「帰るなよ〜」なんて言って貰えなかったかも。
まさか、10年近く前に魚屋で働いていた事が活きるなんて夢にも思わなかった!
誰でも出来る仕事だと思うのだけど、やっぱり慣れがないと腑分け作業は抵抗あるよね。苦笑

それに鮭にまつわるだけでも、県外の方達から沢山の温かい言葉を頂いたのだが、
例えば、広島の昔お世話になっていた大将。
「困っとるんじゃろ?少しで良けりゃ手伝うよ」と小さい店なんだけど3本位買って頂いて
鹿児島の行きつけの大将とおかみさんは「おう!」と二つ返事で10本近く購入。
大阪で働いていた時の寿司屋の大将は、自分は買えないがと、常連の方を紹介してくれたり、
同じく大阪のカフェの店長も「鮭を使うメニューにすればいいから。何か手伝いたい」って。。。

店やってると、なかなか被災地に行って直接支援が出来ないと言う歯痒さもあるのだろうけど
こうやって、被災者である社長のお客さんになるのは、私には出来ない、素晴らしい直接の支援だと思う。
27日に志津川を出発してから、大阪鹿児島で営業(笑)に歩き回っていたのだけど
まずは社長の話をしないと気が済まなくて、離れると余計感情が高ぶって、このままじゃ崇めてしまいそうだ。笑

8月には志津川に引っ越す予定だけど、少しずつでも状況をまわりに伝えていって、
みんなの目が被災地にむくと嬉しいなぁ。

前回写真にするっつったのに、ダラダラと書いてしまった。
なんだか読み返すと、笑。が多いなぁ。
[PR]
by yuujir0u | 2011-07-04 23:38 | 震災

怒濤の10日間(6月17日〜27日)その6

6日目。22日。
21日から最終日、27日の夜、志津川を出発するまで
ずっと「さかなのみうら」社長の避難されているお宅に建ててあるテントにお世話になっていた為、
記憶が前後してしまうのと、この日辺りからメモを取ってないので、
時系列はバラバラで思い出した事を綴っていこうと思います。


21日は千葉から来た、あいのてメンバーさん主体で、今までブルーシートで雨をしのいでいた部分に
本格的な屋根を作っていた。
f0169361_23434173.jpg

2、3日後にはセメントも固まり、立派な軒が出来ていたのだけど、写真に撮り忘れてしまった。
あいのてさんを見て頂くときっちり撮ってあります。。。

この軒が出来るギリギリからずっと雨が続き始める。
22か23日あたりにテレビ朝日のワイド!スクランブルの取材が入る。
バケツリレーの動きで、大量の物資を倉庫に入れたり、
社長が鮭を捌くシーンとか、魚を食べているシーンを写していた様。
自分はなるべく写らないように逃げていたのだけど。笑
どう編集されているのか、気になりつつまだ見れていない。


毎回、仮設に配りに行った時の状況もそれぞれ違っていて
まだ立ったばかりで人が少ない仮設とかでは
「今まで来てもらった事なかった」と言う方も居たり。
そこでカレンダーを配っている時に、(個人で送って頂いているので、色んなカレンダーがあるのだが)
片付け間際に来たお母さんがゴッホのカレンダーを見つけて
「これ、貰って良い!?ゴッホ大好きなんよ!」と嬉しそうにもって帰って貰ったのが印象に残る。
私も、絵や写真が好きなのもあるが、芸術ってのが、余裕のある時に楽しめるものと思っていたのが
そのお母さんの嬉しそうな笑顔で、湧き上がる歓びとしての芸術を感じれたというか。上手く説明出来ないが。

震災と直接関係する話ではないのだけども。気持ち的な問題で。
4月後半に、東京の岡本太郎100祭に行った。大阪の万博の太陽の塔を見て身震いした。
もともと、岡本太郎の生き方が好きで見に行ったのだが、瞬間瞬間に命を燃やす岡本太郎の作品にぶつかって
今、自分が一番何をしたいのか、自問自答した。
東北に行く事は未知の世界で、不安。一寸先は闇。縁も所縁もない。
でも岡本太郎ならどうする?迷わず行くだろう、ってのが、
私が東北に引っ越そうと決めた原動力になっている気がする。

自分の動き方が正しいかどうかは、現時点で判断出来ない。
私は、自分が動きたいから動くのだし、その為の犠牲も伴うし、迷惑もかけている。
自分の行動を正当化も出来ないし、視点を変えれば、偽善でしかないのかもしれない。
職場に「今月一杯で辞めさせて下さい」なんて、身勝手極まりなくて、常識はずれ。
でも、こっちでバイトの身で、私の代わりは探せば居るけど、向こうで長期滞在者は少ないと聞けば
代わりの少ない所を優先したいし、兎に角人手の足りていない状況で、
下っ端仕事の人間が増えれば社長達が上の仕事が出来る、それだけで行く価値はあると思うのです。

今日は、鹿児島の行き着けのお母さん所に軽く飲みに行って、
現状を話したりした後のアップで熱くなって支離滅裂で終わります。
かたじけない。
明日からは、25日の朝、連れてまわって撮らせて頂いた写真をアップして、文章を減らします。苦笑
[PR]
by yuujir0u | 2011-07-04 00:20 | 震災